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今回はメキシコで働く上で、よりメキシコのことを理解するための企画として「メキシコの近代史と政党」をお届けします。メキシコはスペイン語を公用語とする21カ国の中でもっとも人口が多い国ですが、スペイン語を話すようになったのはここ500年のことで、今でも地方に行くとマヤ語やプレペチャ語(タラスコ王国の言語)を話す先住民文化を見ることができます。
メキシコがスペイン語を話すようになったきっかけは、16世紀のスペイン人の侵攻から始まります。それ以前のメキシコの言語や宗教はメキシコ以南の中南米に栄えていたオルメカ、マヤ、アステカなど、メソアメリカ文明に影響を受けたものでした。
メキシコの歴史は、スペイン人の侵攻の前と後で大きく異なります。今回は紀元前2500年から続くといわれるメキシコの長い歴史から、スペイン人侵攻の16世紀から20世紀の500年に焦点を当て、前半はメキシコの戦争や独立について、後半は20世紀以降の政治と経済を中心に、知っておきたいメキシコの近代史と政党をご紹介いたします。出典:Enforex「スペイン語公用語の国々」
知っておきたいメキシコの近代史と政党
大航海時代スペイン女王の援助を受け、1492年10月12日にコロンブス(Christopher Columbus)がサン・サルバドル島(現バハマ)に到着しました。メキシコではこの日を先住民と欧州人による多様な遺産を讃える祭日「民族の日(Day of the Race)」として祝います。アメリカ大陸が発見されて以降、ヨーロッパ諸国の新大陸侵入が始まりました。スペイン人のエルナン・コルテス(Hernán Cortés)はスペイン国王の命令を受け、1519年3月12日に現在のベラクルスに上陸、下図のルートを進み同年11月にモクテスマII世の治めるアステカ王国の首都(現メキシコシティ)に到着しました。王は平和的にコルテスを迎えましたが、スペイン兵は王や臣下を制圧し、メキシコ全土から莫大な金銀を集めさせました。こうして約300年も続くスペイン人の征服が始まりました。アステカの神殿は破壊され、先住民にキリスト教への入信を強いました。
コルテスはこの進行中に通訳として従わせていた先住民の女性マリンチェ(Malinche)と婚姻を結び男児をもうけました。コルテスのメキシコ侵入からメスティーソとよばれる白人と先住民の混血が始まり、今に続いています。
18世紀末に、ナポレオン戦争やアメリカの独立などに影響をうけて、ラテンアメリカに独立の気運が高まりました。メキシコでもクリオーリョと呼ばれるスペイン人の血をひく現地生まれの人々が権力を持ち始め、政治権力を掌握していたスペイン人たちとの対立を始めました。
1810年9月16日、独立の火蓋を切ったのはグアナファト州ドロレス市の司祭、ミゲル・イダルゴ(Miguel Hidalgo)神父でした。イダルゴは教会の鐘を鳴らし会衆を集め、すべてのスペイン人の追放を訴え「メキシコ人よ、メキシコ万歳!(Mexicanos, ¡Viva México!)」という叫びで演説を締めくくりました。この有名な演説は「ドロレスの叫び(Grito de Dolores)」といわれ、今でも9月16日の独立記念日には各庁舎で¡Viva México!と叫び独立を祝う習慣となっています。こうして独立戦争は始まりました。
10年以上続いた独立戦争は1821年に終結、メキシコはスペインから独立を果たしました。
ロペス・オブラドール現大統領は2019年3月にスペイン国王及びローマ法王に対し、占領、侵略、3世紀に亘る植民地統治及びメキシコ独立後200年間に起こった事柄は、侵略及び権威主義的・支配的行為であり、歴史を見直すことにより、特にスペイン王家及びカトリック教会がメキシコ先住民を苦しめた陵辱について、いくら否定しようともまだ傷は開いたままであり、過去の過ちを認めることを求め、テノチティトラン(アステカ帝国の首都)陥落500周年及びメキシコ独立200周年である2021年に和解プロセスを終了させることを提案する書簡を送りました。このようにスペインの植民地であったことは未だ今日のメキシコに大きな影響を与えています。
19世紀前半に米国は領土の拡大を続け、メキシコの領土を侵犯するようになりました。当時メキシコ領であったテキサスにアメリカ人が入植し、1836年に一方的にテキサス共和国の独立を宣言、45年に米国に併合しました。米軍はその後もカリフォルニアに侵入を広げ、最終的にメキシコは当時の国土の約半分にあたる、テキサス、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドの大半を米国に譲渡しました。譲渡時には不毛の地と思われていたこれらの地域はその後、カリフォルニア州でゴールドラッシュが、さらに20世紀前半にはテキサス州から油田が発見されました。
1821年にスペインからの独立を果たしたメキシコでしたが、国内では自由主義派と保守派の対立が激しく情勢は安定しませんでした。ベニート・フアレス率いる自由主義者は、教会と軍閥がメキシコを支配している体制を批判、カトリック教会や地主層と戦いました。この対立は米国が改革派を、スペインが保守派を支援することで国際的な問題にもなりましたが、米国は南北戦争中で、その機に乗じたフランスが負債未払いを口実にメキシコに出兵、1864年にメキシコを事実上支配する口実を作りました。フアレス大統領の率いる共和国軍は1867年にフランス皇帝軍を圧倒しフランス軍は撤退しました。レフォルマ戦争・フランスの介入と戦いメキシコを勝利に導いたフアレスは指導者として不動の権威を築き、1872年に死去するまで大統領を続けました。
メキシコを代表する大統領べニート・フアレスの死後、フアレスの長期政権を批判した軍人のディアスが1876年に大統領となり、自身も35年の長期にわたり大統領を再任しました。ディアスは近代化を成功させましたが、農民から土地を接収して外国資本や大農園主に売却するなど、特権階級のみを優遇する独裁政治でした。1910年に自由主義者マデロの呼びかけに応じたビージャやサパタなどの率いる農民軍が決起し、翌年にディアスは亡命し、革命は成功。17年の憲法成立という意味で立憲革命、またラテンアメリカ最初の民主主義革命として扱われています。
カランサ大統領は1916年に制憲議会を召集、1917年にケレタロで新憲法が公布されました。
前の憲法である1857年憲法が土台とされましたが、特徴的な改正は土地所有はメキシコ人とメキシコ法人に限り、また労働基本権や義務教育、社会保障について詳細に規定されました。後に改正され、現在では外国資本による土地所有が認められてます。
メキシコ民主化は憲法制定で安定するかに思われましたが、依然として地域を支配する有力者が権力をふるっていました。不満の高まった国民の支持をうけたラサロ・カルデナス(PNR、後のPRI)が1934年に大統領に選出され、鉄道と石油を国有化し、中小企業の保護育成を促進させ、メキシコ経済の自立化を目指しました。
メキシコ及びラテンアメリカの債務危機の原因は、原油輸出の増加とオイルショック、対外借入によるペソの過高評価などが考えられます。
メキシコは72年にレフォルマ油田が発見され、原油輸出を増加、77〜82年は輸出総額の約76%まで拡大しました。開発資金は政府とPEMEX(メキシコ石油公団)による対外借入で賄われました。しかし石油輸出が急増したにもかかわらず、経常収支やGNPは悪化しました。70年代はユーロ市場が急拡大し、一次産品価格で実質化すると金利がマイナスになる上、ドル建ての安い変動金利の借入が80年代にドル高に転じたことが原因と考えられています。メキシコ政府はメキシコペソを引き下げて貿易収支の改善を試みましたが、インフレ率が対米より高くペソの過高評価を是正できず、ドル逃避が加速し、債務不履行へと陥りました。
北米自由貿易協定(NAFTA, North American Free Trade Agreement)はアメリカ、カナダ、メキシコの3カ国間で結ばれた経済協定で、1992年に署名され、1994年に発効しました。商品やサービスの貿易障壁を撤廃し、国境を越えた移動を促進することに加え、公正な競争条件の促進、投資の機会の拡大、知的財産権の保護などを目的とした協定です。この協定が成立して以降メキシコの経済は発展し、3カ国間の貿易は大幅に拡大しました。また、自動車産業を中心とした米国に輸出を行う日系企業が数多くメキシコに進出するきっかけとなりました。
92年に北米自由貿易協定(NAFTA)が成立し、外国投資の規制緩和や資本取引の自由化、国内金融部門の自由化などが実施され、資本が流入するとともに外貨準備が増加しました。メキシコに対する資金流入は短期資金が中心で、メキシコからの資金の逆流が増加し、ペソの減価圧力が高まりました。
ペソの切下げ圧力は止まらず、12月22日には変動為替相場制に移行し、外貨準備は1ヶ月で9割近くまで急減。年末に実施された15%のペソの切り下げをきっかけに、1週間でペソ価値が半減する通貨危機となりました。翌1995年1月に米国とIMFにより実施された救援プログラムによって危機は収束しました。
IMF(International Monetary Fund, 国際通貨基金)
経済年譜 | 20世紀以降の政党の流れ | ||
1910年 | メキシコ革命 | ||
1917年 | 現行憲法制定交付 | ||
1929年 | 国民革命党 | ||
1929年〜 | 護憲派勢力(現PRI)が長期間一党支配体制 | ||
1938年 | 鉄道・石油産業の国有化 | ||
1982年 | 債務危機発生 | ||
1986年 | GATT加盟 | ||
1988年 | PRIが当選するも大統領選挙に不正の疑惑 | ||
1992年 | 北米自由貿易協定(NAFTA)調印 | ||
1993年 | APEC参加 | ||
1994年 | OECD加盟、通貨危機発生 | ||
2000年 | 国民行動党 (PAN)へ移行 | ||
2012年 | PRIが大統領を奪回するも議会では過半数を取れず | ||
2011年 | 国家再生運動 (Morena)設立 | ||
2018年 | 米国・メキシコ・カナダ協定(USMAC、旧NAFTA)調印 | 2018年 | 国家再生運動 (Morena)ロペス・オブラドール大統領当選 |
メキシコは行政府・立法府・司法府の三権分立の立憲民主制の連邦共和国で、大統領が国家元首です。二院制の連邦議会の構成は上院128議席、下院500議席。32ある州は独自の州憲法の下に、州知事、州議会、上級司法裁判所から成る三権分立を定めています。州の下には自治体があります。
メキシコ合衆国 United Mexican States | ||||
国家元首 | 立法 | 司法 | ||
上院 | 下院 | |||
HP | AMLO | Senado morena | Cámara de Diputoados | Surerema Corte |
役職 | メキシコ合衆国大統領 | 上院議長 | 下院議長 | 最高裁判所長官 |
名前 | ロペス・オブラドール | エドアルド・ラミレス | ドゥルセ・サウリ | アルトゥーロ・レロデ |
Andrés Manuel López Obrador | Eduardo Ramírez Aguilar | Dulce Maria Sauri Riancho | Arturo Zaldívar Lelode Larrea | |
議席 | – | 128議席 | 500議席 | – |
就任 | 2018年12月1日 | 2020年9月1日 | 2020年9月2日 | 2019年1月2日 |
任期 | 6年 | 6年 | 3年 | 4年 |
画像引用は各HPより
メキシコは長く一党支配であったPRIの選挙不正から政党不信が高まり、1990年に連邦選挙管理機構(IFE)が設置され、選挙活動の支出の監視をや不法・違反が罰せられるようになりました。また、世界の動きにあわせ、2014年の憲法改正で連邦・州議会にパリテ制度※が組み込まれました。2019年には立法府だけでなく行政府、司法府、自治体でもパリテが義務化されたことが要因となって、メキシコの政界行政に女性が進出、2018年にはメキシコで大統領に次いで重要な公職といわれるメキシコ市長、現政権の閣僚では42%が女性です。
※パリテとは:各政党が擁立する候補者に男女同数を義務付ける制度。
国家再生運動 (Morena) Movimiento Regeneración Nacional
国民行動党 (PAN) Partido Acción Nacional
制度的革命党(PRI) Partido Revolucionario Institucional
民主革命党(PRD) Partido de la Revolución Democrática
労働党(PT) | 社会結集党(PES) | 緑の党(PVEM) | 市民運動党(MC) |
Partido del Trabajo | Partido Encuentro Social | Partido Verde Ecologista de México | Movimiento Ciudadano |
大統領選挙において、1900年代は制度的革命党(PRI)の一党優位体制でしたが、2000年以降は下図の通り、国民行動党 (PAN)、制度的革命党(PRI)、国家再生運動 (Morena)と入れ替わっています。
メキシコの大統領は任期6年(再選不可)で、全国一区の相対多数制による直接選挙によって選出されます。 現大統領の経歴や政策をみてみましょう。
アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール
Andrés Manuel López Obrador
生年月日:1953年11月13日(67歳)
出身地:タバスコ州マクスパナ市
学歴:メキシコ国立自治大学政治社会学部卒 (1976年卒業、学士号取得は1987年)
所属:国家再生運動(MORENA)
支持母体:共に歴史を作ろう(Juntos Haremos Historia:JHH)
MORENA・労働党(PT)・社会結集党(PES)の与党連合
1976 | 制度的革命党(PRI)入党 |
1996-99 | 民主革命党(PRD)党首 2012離党 |
2000-05 | メキシコ市長 |
2012-15 | 国家再生運動(Morena) 全国評議会会長 |
2015-17 | Morena党首 |
2018 | 3度目の大統領選挙出馬・当選 |
ロペス・オブラドール氏はメキシコ市長の経験もあり、国民の人気が非常に高い人物です。これまでに2度(2006,2012)大統領選挙に出馬しましたが、2006年大統領選挙においては僅差で敗れ、選挙の不正を訴えてメキシコ市の目抜き通りを2ヶ月に渡り封鎖する抗議活動を行いました。2018年にPAN候補と大差をつけ、メキシコ32州の内、31州で圧勝。任期3年目です。なお選挙で唯一負けた1州は伝統的にPAN支持者が多いグアナファト州で、在メキシコ日系企業進出がめざましい地域です。
ロペス・オブラドール政権の主要政策(2018年12月1日:大統領就任式「100の公約」より抜粋) | |
汚職対策 | 大統領不逮捕特権の廃止 |
国民投票による大統領の罷免を可能にする憲法改正 | |
経済 | 増税しない |
財政赤字削減 | |
格差是正・社会福祉 | 最低賃金引き上げ |
若年層の雇用促進 | |
外交 | 米国及び諸外国と相互尊重の外交 |
在米墨移民の権利の保護 | |
エネルギー | 石油精製所建設 |
燃料税減税 | |
インフラ整備 | 鉄道・道路整備 |
上下水道インフラ整備 |
格差是正・社会福祉 | 最低賃金の引き上げ実施(2段階、88ペソから123ペソへ) |
高齢者・障がい者に年金隔月2.550ペソ支給 | |
外交 | 2019年ボリビア大統領選挙後の政変、エボ・モラレス前大統領の亡命を受け入れ |
インフラ整備 | ドス・ボカス 製油所建設計画スタート(2022年完成予定、米・韓企業参加) |
2年の任期が過ぎたオブラドールの支持率の推移を見ていましょう。
支持率が下降した考えられる要因には下記が挙げられます。
「世界の公務員の腐敗度ランキング 2018」では180カ国中138位のメキシコは、長く続いた一党政権支配で根付いてしまった汚職イメージが強い国です。
汚職撲滅の公約が支持され大差で当選した現大統領。汚職、格差是正等の主要課題をこなしながら、コロナ対策や、コロナの影響で落ち込んだ経済の回復を図れるのかが、期待されています。
今回は500年にわたるメキシコの近代史から、戦争や独立、20世紀のメキシコの政党、現政権までを駆け足でご紹介しました。これからメキシコに来られる方にはどのような国かを知る手がかりに、既にメキシコにお住いの方にはニュースで現政権や野党の動向に興味を持っていただけるきっかけになりましたら幸いです。
メキシコ・シティの国立宮殿にあるディエゴ・リベラの巨大壁画「メキシコの歴史(La historia de Mexico)」では、古代アステカ文明時代からメキシコ革命までを一堂にご覧いただけます。ぜひメキシコの歴史を肌で感じてみてください。
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